あれよ、あれよ、という間に
1月も折り返しましたよー。ドリ農部のチーママこと“ちる”でございます。
大変遅くなりましたが、明けましておめでとうございます☆
本年もドリ農部をよろしくお願い申し上げます!
さて、2011年12月の部活は
『福島と北海道で、これからの生き方を考える。まじめなドリ農部』と題して、
札幌オオドオリ大学の授業と合同開催しました。

2011年3月11日に起こった東日本大震災。
そして、福島第1原発事故。
非難を余儀なくされ、住まいを北海道に移された二人の生産者が今回の先生です。

安斎さんは福島県で果樹園を営む4代目。
農場は原発から50~60km圏内。
ちょうど東京で仕事をしていた時に被災した安斎さんは、
東京や九州まで、各地を転々としながら避難生活を送ることとなりました。
自然栽培を目指し始めた頃だったため、
「今の場所で果たして農業ができるのか」
そんな不安があったそうです。
農業の中でも、果樹を作るのは非常に時間と手間がかかります。
1代では築くことができないのが果樹。
100年以上をかけて、おじいさんの代から大切に大切に育てられた樹木たちから
おいしいモモやナシ、リンゴを採ることができるのです。
手塩にかけて育てた果物たちを手放して
移住しなければならないことは、どんなに辛いことでしょうか。
他の土地に移り住んだとしても、すぐに果樹園を再開できるわけではありません。
「何から伝えてよいのか分かりません」
安斎さんの口からは何度もこの言葉が出てきました。
農業を仕事にするうえで、自然災害は覚悟をしなくてはなりませんが、
今回の問題は全く異質なるもの。
目に見えない“放射能”との戦いです。
それは、まるで映画の中の出来事のようにリアリティーがないのだそうです。
しかし安斎さんは、そんな絶望ともいえる中でも希望を持って北海道に移住し、
新しい生活をスタートさせ、
『アタリマエノ タベモノプロジェクト』という活動も行っています。
http://www.atatabe.com/
そして、もう一人の先生は
福島県飯舘村で肉牛の飼養を行っている生産者の菅野さんです。

飯舘村では“までいライフ宣言”というスローライフへの
取り組みを積極的に行っていました。
“までい”とは福島の方言で、
「両手でゆっくり丁寧に物事をする」という意味だそうです。
しかし、地震と原発事故は
そんな飯舘村の暮らしを一転させてしまいました。
雨や雪で流れてくる放射線の影響で、
農地、そして自分が生まれ育った土地を捨てなくてはならない状況に、
これまで仲良くやってきた人と人との繋がりさえもが
もろく崩れることになってしまいました。
「誰かが土地を守らなければならない」
その土地で生きる覚悟をしているからこそ避難をしないという選択をする人。
「生きるため、安全・安心に暮らすために最善の方法をとる」
子どもたちのことなどを考えて避難するという選択をする人。
世代間の考え方の違い、農業に対する考え方の違い、
様々な思いがあり、だれも間違っていない。
だからこそもどかしい。
原発の影響は、物質的なことだけではなく
精神的な部分においてもとてつもなく大きな影響をもたらしているのです。
「自分は被害者でもあるけれど、加害者でもある」と菅野さんは言います。
これまでにチェルノブイリをはじめとする原発事故のことを知っていたのに、
原発に関して知ろうとしなかった。
それは、北海道、そして日本に住む私たち一人一人にも
同じことが言えるのではないでしょうか。
菅野さんは現在、長沼町の農家で働きながら、
次の世代に今回の出来事や、思いをつなげていくために
飯舘村に桜を植えるプロジェクトの活動を行っています。

先生からの話の後6つのグループに分かれ、
「食」「職」「子育て」「エネルギー」「経済」「新しい生き方」のテーマについてディスカッションを行いました。
そして、他のチームとメンバーをシャッフルして意見交換。
本当の食の安全・安心とは、この出来事をきっかけに新しい価値が生まれる、
目先の利益にとらわれないこと、人との繋がりが大切、地域の力の重要性・・・
一つのテーマから様々な問題点や意見が上がり、
それぞれのテーマが他のテーマとも密接につながっているということに気づきました。

短い時間ながら、一人一人が真剣に原発の向き合った時間。
答えはでなくとも、こうやって考え、意見をぶつけ合い、行動することが
今の私たちには必要なのかもしれません。
そしてそして、まじめなドリ農部終了後には、
待ちに待ったDNB総選挙が!!
後半へ続く!!(笑)


































